そもそも「村山談話」なるものは何なのか?

 田母神論文で、「村山談話」を踏襲しなかったから政府に逆らったのだ、けしからんと言って処分してしまった事案で、未だに田母神氏を非難している輩が居る。
 特に朝日・毎日新聞は強烈な論調で非難しているのである。
 マァ中国、韓国の手先の新聞は相手にしても仕方がないとは思うものの、それに騙される日本国民がいるから始末に負えないのである。

 それでは「村山談話」なるものは、どんな経緯で語られたものであるかを改めてひも解いてみたい。
 平成6年6月に自社さ連立政権で総理大臣に指名されたのが社会党委員長村山富市なのである。
 自民党幹部は何を血迷ったか、主義主張の違う社会党と連立を組み政権を確保したのである。
 当時の自民党総裁は河野洋平で、総裁でありながら総理大臣になれなかった男である。(それが現衆議院議長であることは周知のとおり)
 そして、「村山談話」なるものが誕生したのである。
 
 その経緯については、フリージャーナリスト櫻井よし子氏がWiLL7月号で「誰もわかっていない文民統制」の中で次のように語っている。
 
 『当時民社党の衆議院議員西村眞悟氏が「諸君!」の平成17年7月号で次のように書いている。』

 自社さ政権の下で国会における謝罪決議が構想され始めたが、反対の声は超党派で強まり、決議案が上程されても否決されることが明白になった。
 すると、6月9日の金曜日「本日は本会議なし、各議員は選挙区に帰られたし」との通知が衆議院内にまわされ、反対派の議員らは選挙区に戻った。
 その隙を狙ったかのように、土井たか子衆院議長(社会党)が金曜日の午後8時近くの遅い時間に本会議開会のベルを押したのである。
 その結果、265人の議員が欠席し、議員総数509人の半数以下の230人の賛成で決議案は可決。
 だが参議院は採決を見送ったのである。
 これでは折角のの決議の権威もなく評価もされないこととなった。
 そこで村山首相らは次に総理大臣としての談話を出す道を選んだのである。
 平成7年8月15日、村山首相は学者や谷野作太郎内閣外政審議室長ら少数の官邸スタッフらと練り上げた談話を閣議に持ち込み、古川貞二郎官房副長官が読み上げたのである。
 この間の経緯は「閣議室は水を打ったように静まりかえった」と報じられたのである。
 事前説明なしで突然出された談話に、閣僚は誰ひとり反論できていない。自民党にとってこのことこそが痛恨の極みであろう。
 (私見~それを村山以降の首相が踏襲すると言っているのである)
 談話を出すに当って村山首相は記者会見に臨んだ。
 そして、「談話で日本が過去に国策を誤ったとして謝罪したが、具体的にどのように誤ったと認識しているのか」と問われ、村山首相は絶句したのである。
 国会決議の卑劣な出自、自らの談話も具体的に説明できない虚ろな首相。村山氏の政治家としての、否、それ以前に、人間としての資質は興醒めである。
 社会党時代、長きにわたって氏は自衛隊は憲法違反だと非難し続けてきた。
 首相になった途端に合憲だと主張を変え、自衛隊員に国家防衛の崇高な任務に励めと訓話したのである。
 しかし、首相を辞して社民党に戻ったら、またもや自衛隊違憲論に戻ったのである。
 国家の重要事に関して二転三転した節操なき人物の談話を、何時まで金科玉条として掲げ続けるのか。
 問うべきは内容の曖昧なまま横行する文民統制と、村山談話のいかがわしさが伺えるのである。

と真っ向唐竹割である。
 まさにその通りであり、当時自民党の中でも、この村山談話なるものがいい加減であったかは分かっていたはずである。
 それが連立政権を組むことによって、やっと政権維持した流れから、村山首相に気兼ねして反対しなかったのである。
 良識ある議員は、腹の中では違和感があったにも係わらず、何も反論しなかった。

 今中国と何とか良好関係を保っていることから、田母神論文で中国・韓国からの反発が怖くて、即、田母神氏を切ったのである。
 それも懸賞論文が明るみに出て2時間のうちにである。
 いかに中国・韓国に顔を向けて政治をしているかである。 
 日本国内では、6割の人が田母神論文を支持しているのにである。
 
   

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